有色人種移民を排斥する白豪主義(White Australia Policy)に反対し、移住者の多様な文化・言語の価値を認め、その維持と発展がオーストラリア国民経済と文化の発展に貢献するとの観点から、連邦・州政府が積極的に援助する方針をいう。1971年にカナダが採用した多文化主義を模範として、73年にウィットラム労働党政権が採用を宣言。フレイザー保守連合政権、ホークおよびキーティングの労働党政権が充実させてきた。しかし、80年代後半から90年代半ば、多文化主義は社会分裂の元凶だとの批判が強まり、96年のハワード保守政権登場後、ポーリン・ハンソン連邦下院議員が設立した極右政党のワン・ネーション党が一時的に国民の支持を受けた。2005年12月にシドニー南部で5000人規模の人種暴動が発生したため、07年2月にハワード政権は、移民・多文化省を「移民・シチズンシップ省」に変更し、同年10月より帰化申請の際に、ある程度の英語力を前提とした「シチズンシップ・テスト」を課すことにした。これらの政策変更は、多文化主義とイスラム原理主義との関係性を疑うことから派生している。その一方で、政府は非英語系の移民・難民への支援を削減した。その結果、ラッド政権時代の09年半ばには、急増するインド人留学生に対して、「カレーバッシング」と称した嫌がらせがメルボルンを中心に広がり、豪印関係が一時悪化した。カレーバッシングは、10年1月に殺人事件にまで発展したものの、その後終息した。他方で、09年半ばより始まったボートピープルの流入はその後も続き、ギラード首相は対応に苦慮したが、11年2月には移民大臣が多文化主義政策の継続を明言した。アボット政権はボートピープル対策では強硬な姿勢を見せているが、多文化主義について積極的な対応はしていない。(→「ボートピープル問題」)