フィジーでは、1987年のランブカ中佐のクーデター以後、先住島民とインド系移住者との間の緊張・対立関係が顕在化してきた。2006年12月にフィジー系で進歩派のバイニマラマ国軍司令官が、行政権の奪取と非常事態宣言を実施し、無血クーデターを行うとともに、07年1月に同司令官自身が暫定首相に就任し、暫定内閣を発足させている。英連邦諸国からの批判を受け、バイニマラマ暫定政権は、民主的政治プロセスの早期回復のため、09年の総選挙実施を約束し、07年6月に非常事態宣言を解除した。しかし、バイニマラマ暫定首相は09年に総選挙を約束通りに実施せず、14年以降に先送りした。その結果、07年にフィジーは太平洋諸島フォーラム(PIF)および英連邦のメンバー資格停止処分を受けると同時に、同年10月にはメディアの検閲をめぐりオーストラリア、ニュージーランドと対立し国交断絶した。オーストラリアのラッド前首相はフィジーにはクーデター文化が育っていると非難したが、他方で、インド系住民対フィジー人の民族対立からフィジー人内部の保守層と改革派の政治的対立へと、対立軸が変化していることにも注意すべきである。12年1月1日、バイニマラマ首相は新年のメッセージにおいて、1月7日から緊急事態令を解除し、2月には新憲法制定に向けた国民対話を開始すると述べ、同年3月には、13年の2月末までに新憲法を策定するプロセスについて発表した。06年12月のクーデター発生以降、オーストラリア、ニュージーランドとの関係が冷え込むなか、近年では中国、ASEAN、アラブ諸国などとの関係を重視しているが、12年7月には、オーストラリアとニュージーランドが高等弁務官の駐在を再開することで合意し、フィジーとの外交関係を修復している。これは、フィジーと中国の接近を意識した政治的配慮に基づくものと思われる。バイニマラマ政権は13年に憲法が承認されたことを受け、14年9月に総選挙を実施するとしている。