仏領ニューカレドニアでは、メラネシア系住民による各種の独立運動を糾合したカナク社会主義民族解放戦線(FLNKS)が1984年に成立した。対応に苦慮したフランス政府は、88年にマチニヨン協定を結び、10年後に独立の是非を問う住民投票を行うことを認めた。98年5月に同島を訪れたフランスのジョスパン首相は、新たにヌメア協定を結び、住民投票により独立の意志が確認されれば、自治権を段階的に拡大し、最終的には外交、国防、司法権、通貨発行以外の権限がニューカレドニア自治政府に全面的に譲渡されること、2014年から18年の間に、独立かフランス残留かの住民投票を行うことが定められた。1998年11月の住民投票では、独立支持が71.9%を獲得したが、独立派と現状維持派の対立は残った上に、人口の10%を構成するフランス人が、島内で二級市民扱いされている不満から、独立派とともに04年9月の国勢調査をボイコットしている。なお、ニューカレドニアの独立といっても、求められているものは完全独立ではなく、フランスとの自由連合国家の実現である。