太平洋諸島フォーラム(PIF)諸国と日本が参加する首脳会議。第1回は1997年に東京で、第2回は2000年に宮崎で、第3回は03年5月に沖縄で、第4回も06年6月に沖縄で開催された。第5回は09年5月に北海道占冠(しむかっぷ)村トマムにおいて開催されている。会合の度に島しょ国支援策が策定されており、第5回会合では、太平洋環境共同体創設を提言する「北海道アイランダーズ宣言」が採択された。なお、第5回会合には、クーデターで成立したフィジー政府代表は招待されていない。10年10月には海洋権益拡大をもくろむ中国の動きを意識した、太平洋・島サミット中間閣僚会議が初めて開催されたが、その際にはフィジー外相が招かれた。フィジーの民主化促進と同国への中国の支援拡大を意識してのことである。日本の経済支援拡大は、中国と台湾の政治的な援助合戦への対応の結果であり、日本の援助も、国連の安全保障理事会改革や捕鯨問題での支持を得るためという政治的な目的をもつものだと指摘されている。ただ、大規模な援助合戦は、島しょ国の身の丈を大きく上回るために、真の援助とならないばかりか、政治腐敗の温床や島しょ国内の政争の種になりかねないとの懸念も強い。ソロモン諸島やトンガの暴動では移住した中国人商人や労働者がターゲットになっている。これに対して、オーストラリアやニュージーランドによる援助は、民主化・政治腐敗の浄化の進展などを条件としたもので、より質を重視した性格が強い。第6回太平洋・島サミットは、12年5月25~26日に沖縄県名護市で開催された。今回も軍事政権のフィジーは欠席した。オーストラリア、ニュージーランドのほか、アメリカから国務省のクルーン筆頭次官補代理が出席し、海洋の安全保障が初めて議題となった。環境汚染や水産資源の確保、航行のルールづくりなども議題となった。日本は、島国の自然災害被害対策や、地震や津波の早期警報システムづくりを支援することを伝えると同時に、一部の国とは自衛隊との防衛交流強化を確認した。中国共産党の第18回党大会で、当時の胡錦濤総書記は活動報告で「我々は海洋資源を開発する能力を高め、海洋権益を断固として守り、海洋強国を建設すべきだ」と論じていたため、中国の太平洋進出の動きへの懸念が高まり、以前より会合への注目が高まった。