1980年代から90年代末まで中米のグアテマラで繰り広げられた内戦。グアテマラはかつて「バナナ共和国」と呼ばれた。アメリカの旧ユナイテッド・フルーツ社(現ユナイテッド・ブランズ社)が政治・経済の実権を握り、政治的にも影響力が大きかったためだが、44年に民衆蜂起で独裁政権が倒れ、改良主義的なアレバロ政権が成立した。その後、54年にアルベンス政権(50~54年)が土地改革を実施すると、アメリカの支援を受けたカスティージョ・アルマス大佐の率いる反革命軍が侵攻し、政権は崩壊した。以来、軍事政権が続き、軍人や地主による土地強奪、人口の過半数を占める先住民の虐殺などが激化した。60年代から農民の土地回復闘争や反政府ゲリラ運動が活発になり、80年1月にはビセンテ・メンチュー(ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチュー・トゥムの父親)ら農民が、軍による住民虐殺を世界に訴えるためにスペイン大使館に入ったところ、軍部が放火し、外交官もろとも農民が焼死する事件も起きた。81年から82年にかけては軍部により全国で焦土作戦が展開され、440の村が消滅し、国内難民が100万人、国外難民が10万人出た。82年にはゲリラ統一組織「グアテマラ民族革命連合」(URNG ; Unidad Revolucionaria Nacional Guatemalteca スペイン)が成立し、政府軍との間で激しい内戦が繰り広げられた。軍部は強硬姿勢を崩さなかったが、強い国際圧力のもと96年12月に和平協定が調印された。30年以上に及ぶ内戦の死者は17万5000人、行方不明者は5000人にのぼる。