2011年7月に就任したオジャンタ・ウマラ大統領を首班とするペルーの政権。ウマラは同年6月の大統領選第2次投票において51.5%の得票で、「フエルサ2011」のケイコ・フジモリ(フジモリ元大統領の長女)候補(同48.5%)を破り当選した。軍人出身であり、フジモリ政権末期の00年10月に反政府蜂起を実行し捕らえられたが、国会の決議により恩赦となった。その後、05年にペルー民族主義党を創立、06年には「ガナ・ペルー」を結成して大統領選に出馬したが、中道左派「アメリカ革命人民同盟」(APRA)のアラン・ガルシアに小差で敗れた。アラン・ガルシア政権期には主として鉱産物輸出の好調により高い経済成長が達成されたが、貧困層の多い首都のリマでは政権への支持率が低かった。これは経済成長の恩恵が貧困層に及ばなかったことによる。一方、鉱産物資源に富むペルーではアマゾン地域を中心に資源開発が活発になり、ガルシア政権期には先住民族が土地の権利擁護と自然破壊反対を掲げてペルー史上初の大規模抗議行動に立ち上がった。北部のカハマルカでは住民や鉱山労働者の激しい抗議によりアメリカ系鉱山会社が操業停止に追い込まれた。これに対し、ウマラ政権は操業停止見直しの検討を開始し、反対派住民の抗議行動に対して、11年11月、非常事態宣言を発令、軍隊を派遣して鎮圧した。その影響は政権内部にも及び、同年12月にはレルネル・グイティス首相が辞任している。後任には元軍人で内相のオスカル・バルデスが就任した。なお、ペルーは銅と銀の生産額は世界第2位、金は世界第6位、鉱産物は同国の総輸出額の60%を占める。