チリの政党連合。1988年10月5日、アウグスト・ピノチェトが主導する軍事政権は、自らの統治期間の延長について国民の是非を問うべく国民投票を実施した。これに先立って、キリスト教民主党(PDC)、民主主義党(PPD)、急進社会民主党(PRSD)、社会党(PS)など、軍政延長に反対する16の政党が結成したのがこのコンセルタシオンである。この国民投票に勝利した後、2009年の選挙で中道右派の「変革のための同盟」(大統領候補はセバスティアン・ピニェラ)に敗れるまで、約20年のあいだ政権を担当した。経済・社会的側面については、軍事政権期に導入された市場志向の発展モデルを保持することで堅実な成長・発展を実現する一方、漸進的な社会政策の拡充により貧困・社会問題の緩和が試みられてきた点が評価されている。また政治的にも、ラテンアメリカ地域では珍しく制度化された穏健な二党制の下、広範な中道・中道左派勢力を糾合する与党内の合意形成を重視する一方、当時の野党・中道右派とも地道な協議を行って政策を実施するという姿勢が政治的な安定ももたらした。しかし他方で、コンセルタシオンの治世の下、政治が高度に制度化ないしエリート主義化し、また、それを可能とした大政党有利の「非民主的」な選挙制度が保持されてきたことで、社会における少数者の声が政治に反映される機会やルートが奪われ、例えば労働争議や学生運動の勃発、少数民族(マプチェ)問題の深刻化など、様々な問題を引き起こすこととなった。