ポーランドは2003年3月イラク戦争におけるアメリカとの「有志連合」により、ヨーロッパの台風の目として国際的にも大きく注目された。1980年8月の「連帯」運動以降、ポーランドは常に東欧の改革をリードする役割を果たしてきた。89年の円卓会議と自由選挙は、東欧の転換を促す起爆剤となった。体制転換後の90年代前半は、ワレサやマゾビエツキが連帯を率いた。93年の選挙で、連帯から民主左翼連合と農民党の連合政権へと政権交代したが、97年の選挙で再び「連帯選挙運動」が勝利した。2001年に再び民主左翼連合が政権をとったが、05年10月の総選挙で「法と正義」が勝利し、双子のカチンスキ兄弟の弟レフが大統領、7月には兄ヤロスワフが首相となった。3800万というスペインに並ぶ人口、イラク戦争への21カ国軍を率いての参加がEU(欧州連合)内の親米勢力として「トロイの木馬」と揶揄(やゆ)され、その後ワイマール・トライアングル(ドイツ、フランス、ポーランド)の首脳会議の一員として、アメリカの圧力を背景に、ヨーロッパの「大国」としての地位を確立した。しかし国内政治の不評を買って07年10月の総選挙でカチンスキ首相は下野し、新政権は、親米から、国益・EU重視へと政策を転換させている。