1989年の体制転換後、旧東欧は、経済改革や民主化の達成度、またその社会構造から、中欧とバルカンに二分された。中欧が90年代後半から急速な発展とEU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)加盟を成しとげる中、バルカン、とりわけ旧ユーゴスラビアは、チトーの死とミロシェビッチの民族主義的政策の後、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立と民族紛争の泥沼化、コソボ紛争とNATOによるコソボ空爆、民主化の遂行、さらにモンテネグロの独立、コソボの独立宣言など、混乱が続いている。10年間におよぶ民族・地域紛争の結果、「民主化」は、中欧に比べて10年遅れたといわれる。
経済はハイパーインフレとGDP(国内総生産)の大幅減少、文化的にはマイノリティー(とりわけコソボのアルバニア人などイスラム系マイノリティー)への抑圧政策など、市民生活も悪化した。しかしコソボ空爆後の民主化や、南東欧安定化協定の推進により、2012~13年ごろには「西バルカン」のEU加盟も展望され、一部交渉も始まっている。