2003年6月20日の欧州連合(EU)首脳会議は、02年に発足したジスカールデスタン元フランス大統領を議長とするヨーロッパ協議会の出した結論(02年10月28日)を受けて「大統領」職や「外相」職の新設などを盛り込んだ、拡大欧州の基本構造ともなる「ヨーロッパ憲法(欧州憲法)」草案を承認、これによりその後27カ国(13年にクロアチアが加盟して28カ国)に膨れ上がる「大欧州」の骨格ができあがった。この草案を基に03年10月に招集された政府間協議(IGC)で各国の利害調整が行われ、特に対立がきわだった一部の政策分野における(1)賛成国の比率、(2)EU全体に占める賛成国の人口総数の比率をめぐる「二重多数決方式」で妥協が成立した結果、04年6月18日のEU首脳会議で正式に「ヨーロッパ憲法」として採択された。このうち「二重多数決方式」は、(1)加盟国の55%以上(かつ15カ国以上)の賛成と、(2)賛成国の人口がEU全体の65%以上を必要とする、と規定され、影響力の保持を目指す大国と中小国のそれぞれの思惑が反映された。さらに、欧州委員については14年まで1国1委員とし、その後加盟国数の3分の2に削減することを定めた。これにより、新規加盟国を含むすべての加盟国の調印と批准を経て06年をめどに発効させることが決定された。憲法条約の調印式は04年10月29日にローマで実施。しかし、発効には27の全加盟国による批准が条件となっており、EU統合の牽引役を担ってきたフランスで05年5月29日の国民投票で批准が拒否され、オランダでも6月1日の国民投票で60%を超える反対で拒否されるという思わぬ結果を招いた。06年6月の首脳会議では08年末までの先送りを決定したが、07年6月に開催された首脳会議で、新条約起草のための新たな政府間協議(IGC)の創設が合意され、EUの権限拡大への警戒感に配慮して簡素化された「改革条約」草案が作成された。同年10月、ポルトガルのリスボンで開催された非公式首脳会議において、改革条約は「リスボン条約」として採択され、12月には調印式が行われ、最終的に09年12月1日に発効することとなった。