アムステルダム条約では共通外交・安全保障政策(CFSP)担当の上級代表のポストが新設された。肝心の政策の実施に当たっては建設的棄権制という抜け穴が設けられ、政策決定に棄権する国は政策遂行義務を免れることになる。CFSPの抱える最大の制度的欠陥といえる。結局、欧州連合(EU)はアムステルダム条約発効後も1999年のユーゴ空爆をめぐって共通政策を打ち出すことはできなかったし、また2003年春のイラクに対するアメリカとイギリスの攻撃姿勢に対しても、フランスとドイツが真っ向から反対したためCFSPの実効性を確保できないでいる。CFSPのソラナ上級代表が「CFSPは共通政策を追求するもので、単一政策の追求を目標とするものではない」と語ったことは、国益が鋭く対立する争点をめぐって「単一の」政策を形成することがいかに困難かを示している。しかし、03年12月の首脳会議でEU初の安全保障戦略(→「欧州安全保障戦略」)が採択され、国際テロや大量破壊兵器拡散、破綻国家の出現を世界平和の脅威と認定し、多国間主義に基づく予防的関与の推進をうたうとともに、これらの脅威を除去するために軍事行動を辞さないことが確認されたことは、CFSPの前進を画するものといえよう。05年以降、イランの核開発問題をめぐりイギリス・フランス・ドイツの3カ国が「EU3」としてイランと交渉に当たり、ソラナ上級代表がイランとアメリカとの調停を試みているのはその一環であり、現在もこの交渉枠組みは維持されている。アジア欧州会議(ASEM)へのミャンマーの参加をめぐって同国の軍事政権による民主化抑圧政策に強く反発したり、08年8月に勃発した南オセチアとアブハジア紛争ではグルジア監視団(EUMM)が派遣されるなど、CFSPの実績は着実に積み上がっていた。ただ、ウクライナに隣接するバルト諸国やポーランドの政変に同情的だった一方で、14年2月のウクライナにおける政変に際して、ドイツなどロシアの天然ガスへの依存度の高い国が必ずしも強く支持しなかった点で、姿勢の違いを浮き彫りにした。また14年3月のクリミアのロシアへの編入や東部クリミアにおけるロシアの関与問題をめぐっても足並みが揃わなかった。