総選挙後2カ月余を経た2005年11月22日に大連立政権の首相に就任して以降、メルケル首相はフランスなどEUの主要国を訪問して欧州統合の推進を確認し、また06年1月のアメリカ訪問の際にはシュレーダー政権時代に悪化した米独関係の修復に努めるなど、外交面での滑り出しを順調に切った。他方、国内政策では前政権の積み残した財政赤字を国内総生産(GDP)の3%以内に抑えることや、07年にも付加価値税(消費税)を3%引き上げ19%にすることなど、緊縮財政のもとで国民に負担を強いる政策に着手せざるを得ない立場に立たされた。メルケル政権はこうした国内政策を進める一環として、06年に入って現行の賃金を据え置いたまま、週労働時間を38.5時間から40時間に延長する制度改正を決定したが、公務員労組のストに見舞われた。またEUに加盟した東欧諸国との競争にさらされている民間部門でも、人員削減に反対し賃上げを要求して公務員ストに呼応するなど、経済・財政政策に不安定要因を抱えている。しかも、08年の世界同時不況の嵐に巻き込まれ、輸出減少などで同年第3四半期のGDPがマイナス0.5%を記録、2期連続の前期比マイナス成長となった。一方、外交面では2007年6月の先進諸国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)の議長国として、二酸化炭素排出量削減など、環境保護政策で主導権を発揮した。しかし、国家安全保障会議設置問題では連立与党の社会民主党(SPD)が反対するなど、大連立政権の軋(きし)みが加速した。しかし、09年9月の総選挙で大敗したSPDとの大連立を解消し、躍進した自由民主党(FDP)との間で連立を組んで、第2次メルケル政権が発足した。政権発足後、国内政策では特に旧東ドイツ地域の経済・社会開発に重点的に投資を行い、国内の経済・社会格差の縮小に傾注した。外交ではEU統合の担い手としてギリシャの債務危機後のユーロ圏の安定を目的とした調整政治を展開するとともに、14年に起こったウクライナ危機に当たってはフランスと共同して危機の回避に尽力した。