2009年12月にリスボン条約を発効させた欧州連合(EU)は、欧州理事会常任議長(大統領に相当)にベルギーのファンロンパイ前首相を選び、外交・安全保障上級代表(外相)にイギリスのアシュトン前欧州委員会委員を選出して、政治統合に向けた大きな一歩を踏み出した。しかし、08年秋に発生したリーマン・ショックの大波をまともに受けたEU域内の経済的打撃の傷は深く、09年のギリシャにおける国債の暴落に端を発した金融・財政危機はユーロ圏に属する国々に深刻な影響を及ぼした。むろん、この間にEUは危機克服の手を打たなかったわけではない。10年10月29日にEU首脳会議が、ユーロの信頼性を確保することを目的に、ユーロ圏で財政危機に陥った国に加盟各国が緊急融資する常設の融資制度を13年に創設することを決定したのもその一つである。リスボン条約はユーロ圏の財政規律を確保するためにユーロ圏の政府間融資を禁止しており、新制度の最大の出資国となるドイツが条約の大幅改正を求めたが、全加盟国の批准を確実にするために小規模の改正にとどめることで合意し、金融システムの不安定化を回避するための新制度(欧州金融安定化基金[EFSF])を発足させることで合意した。この合意は、ギリシャに続き財政危機に直面したスペインやアイルランド、ポルトガルなどユーロ圏に属する国々の財政危機を克服するためEUの経済ガバナンスを強化することを意図したものである。しかし11年後半に入ってギリシャの政府債務危機が再燃、イタリアなどに飛び火する形で危機の輪が拡大していった。ユーロ圏始まって以来の危機に直面したEUは、ドイツとフランスが中心になってギリシャ救済策をはじめとする経済危機管理制度の活用を相次いで打ち出したが、12年以降も根本的な打開策を打ち出せないまま、加盟国間の疑心暗鬼が深まっている。モンティ政権下のイタリアで財政緊縮策を進めた結果、13年にはイタリアが危機状態からようやく脱出したが、後継のレッタ政権下の財政金融政策が頓挫すれば、再びユーロ危機に襲われかねない危うさを抱えているのが実情である。また、ギリシャで15年1月の総選挙で急進左派連合が勝利を収め、EUの求める緊縮財政に反対する民意が示されたことで再びユーロ危機が訪れるのではないかという不安感が、EU域内に広まっているのも現状である。一方、14年に実施された欧州議会選挙後にEUの執行体制が大きく変わり、欧州理事会常任議長にはポーランドのドナルド・トゥスク元首相が選ばれた。