2012年に発足したフランスのオランド政権は、社会党政権として公共投資の増大による景気刺激と雇用増大の政策を進める一方、所得の再分配機能を強化する目的から富裕税の導入を図ろうとしたが、憲法評議会が12年12月29日に違憲判断を示したことから就任半年で頓挫をきたすこととなった。富裕税は100万ユーロ超の高額所得者に対して75%を課税しようとするもので、わずかに2000人弱の富裕層を狙い撃ちにする課税構想である。この構想に怒った著名な映画俳優のジェラール・ドパルデューが国外移住を決行するという波紋が広がったが、かえって国民のオランド政権支持を高める結果となった。外交政策ではドイツのメルケル首相との個人的な信頼関係の構築に努め、ギリシャ、スペイン、イタリアに連鎖反応を及ぼした経済危機に伴う共通通貨ユーロ価値の下落に対して緊密な連携プレーを演出、危機の連鎖に歯止めをかけることに一応成功したが、08年のリーマン・ショック後にヨーロッパを襲った経済・通貨危機から完全に脱し切ったわけではなく、イギリスの保守党政権が打ち出した欧州連合(EU)からの脱退案への対処など、EU統合の主導国として多くの難題に直面している。また、13年1月に旧植民地である西アフリカのマリ共和国で進む内乱に介入することを決定、反乱軍掃討と治安維持を目的にフランス軍を派遣したが、長期化が予想される内乱に深く関与することに伴う戦費や旧植民地への介入による周辺アフリカ諸国の反発の増大をも考慮に入れた関与政策の行方が注目された。しかし、15年1月に起こったイスラム過激派による風刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件で表現の自由を守る意思を鮮明にしたことで、落ち込んでいた国内支持率の急回復を果たしたことは、オランド政権の安定度を増す結果となった。