2003年1月のイスラエル国会議員選挙において労働党が提唱した、イスラエル領域とパレスチナ人居住地域を物理的に分離する政策。これは、第2次インティファーダ(→「インティファーダ」)でのパレスチナの武力闘争やテロリストへの対応処置であった。分離フェンスを1967年の第3次中東戦争によって定められた停戦ライン(グリーン・ライン)に極めて近づけることで、ガザ撤退および同地での入植地(21カ所)の撤去や西岸の小規模入植地(4カ所)撤去を実施し、恒久的な分離へと導く構想でもある。シャロン首相(当時)は同計画の段階的実施を2004年2月に発表、10月に国会承認を得た。一方、パレスチナ側はこの計画には反対しており、西岸のすべての入植地の撤去を求めている。