2007年1月にパリで開催されたイスラエル・ヒズボラ紛争(06年)後のレバノン復興支援のための国際会議。フランスのシラク大統領(当時)の提唱で実現、40カ国以上と14の国際機関が参加した。会議では、国際復興銀行(IBRD)と欧州投資銀行(EIB)があわせて20億ドル、サウジ11億ドル、アメリカ7億7000万ドル、フランス5億ユーロなどの資金融資の申し出があり、総額76億ドルの拠出が参加国から寄せられた。同会議は、レバノンのヒズボラや親シリア陣営から退陣を求められているシニオラ首相(当時)を支援する目的もあった。このため、同首相の出席を妨害すべく07年1月23日、ヒズボラは政権打倒のゼネストを市民に呼びかけ道路封鎖を実施、これに反発した反シリア勢力の市民との間で衝突が発生した。同25日には死者も出、レバノン軍により10年ぶりに夜間外出禁止令が敷かれたが、事態は鎮静化した。