2006年7月からのイスラエルとヒズボラの武力衝突。05年7月、06年2月にライス米国務長官(当時)がレバノンを訪問し、シニオラ政権(当時)と協議を重ね、ヒズボラの武装抵抗運動の封じ込めを進めようとしていた。そのさなか、06年5月以降イスラエル北部の町にカチューシャミサイルが打ち込まれ、さらに7月ヒズボラが国境を侵犯し、国境を偵察中のイスラエル兵士を拉致する事件が起き、イスラエルがレバノン領攻撃を開始した。戦況は、ヒズボラ側が国外からの武器支援やゲリラ戦術で予想を上回る抵抗を見せた。これにより、イスラエル軍の南レバノンへの展開は進まず、イスラエルの都市へのロケット弾攻撃も続けられた。開戦から約1カ月後、イスラエルは空爆に加え、地上戦を拡大する。一方、国際社会は8月11日、国連安保理決議1701を採択し、8月14日停戦が成立、レバノン軍(1万5000人)と国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の南レバノン展開によって兵力引き離しがなされ、イスラエル軍は撤退した。レバノン一般市民の死者は約800人、避難民は約100万人以上、またイスラエル側でも100人以上の死者が出ている。イスラエルの戦局拡大や、即時停戦を導けなかった国連も国際社会からの非難を受けた。なお、決議1701では、ヒズボラの武装解除、非政府軍に対する武器供与禁止、レバノン・シリア国境の明確な確定が求められている。