戦闘期間は、1980年9月、イラク軍がイラン領に侵攻し、戦闘が拡大した時点から、88年7月、イランが国連安全保障理事会の停戦決議598を受諾し、国連事務総長による当事者間交渉を開始、停戦に至った88年8月まで。戦争の性格は限定された地域紛争であるが、同地域が国際社会への石油供給源としての特殊事情が加わり、東西対立の代理紛争とは別の形態で、アメリカとソ連(当時)を含む国際社会を巻き込んだ紛争となった。戦死者は、イラン側は推定70万人、イラク側は推定30万で、両国で約100万人といわれている。なお、両国の国交回復は90年9月10日になされたが、その直前の8月2日にイラクはクウェートに侵攻し、翌91年、湾岸戦争が起きた。