2008年12月からのイスラエルとハマスの武力衝突の激化。ハマスが07年6月にガザを武力占領して以来、イスラエルとハマスの軍事的な緊張が続いている。08年3月、エジプトの仲介で、ハマス側はガザ封鎖の解除、イスラエル側はハマスの武器密輸停止を条件として、両者は攻撃の自制に同意、その後、小競り合いは続いたが、同年6月に6カ月間の停戦となった。しかし、この間も断続的武力衝突が見られ、12月、ハマスは停戦の延長を拒否し、ロケット弾攻撃を再開した。これを受け、イスラエル軍は12月27日からガザへの空爆を開始、ハマスの基盤となる施設を破壊、09年に入り1月3日夜から3旅団の兵士をガザに投入した。この状況に対し、国連安全保障理事会は1月8日、停戦決議1860を採択(アメリカは棄権)し両者に即時停戦を求めたが、両者とも受け入れ拒否の姿勢を示した。しかし、イスラエルは1月16日、リブニ外相がアメリカを訪問し、ガザ問題を協議した。そして18日ガザでの軍事作戦を一方的に停止し、20日にはガザからの撤退を完了した。この紛争での死者はパレスチナ側が約1300人でイスラエルは13人、パレスチナの被害額は約19億ドルにのぼる。武力衝突がエスカレートした背景には、パレスチナ側では自治政府大統領の選挙(今回に限り評議会選挙と同時を予定したが、結局、両選挙とも延期)、イスラエル側でも09年2月に総選挙を控えていたことがある。そのことで、両者は恒久的な停戦を導くか、相手に決定的な損害を与えるかの選択実施に踏み切った。一方、両者の仲介役を果たしてきたエジプトの役割が大きくなっており、両者の板ばさみ状況ともなっている。