1960年代末に、イマーム(イスラムにおける宗教的指導者)であるフェトフッラー・ギュレン師の教えに共鳴した人々が開始した社会運動。「ヒズメット」(「奉仕」の意味)とも呼ばれる。教育に力を入れており、トルコ内外で学校を経営した。優秀な学生を育成し、軍・警察、司法界に卒業生を送りこんでいるといわれるほか、メディアや銀行などを保有していた。運動のメンバーについては、名簿などは明らかにされていない。イスラム政党である公正発展党AKPとの関係は良好だったが、エルドアン大統領が権力を掌握し、独裁化の傾向を強めるに従って対立が激化した。エルドアン大統領は、マスコミによる汚職追及などの背後にはギュレン運動があるとして警戒を強めた。2016年7月のクーデター未遂後、エルドアン大統領はギュレン運動が反乱事件の背後にあったと決めつけ、アメリカ在住のギュレン師の身柄引き渡しを求めるとともに、国内のメンバーの拘束や関係企業・組織などの解体を進めた(→「トルコでのクーデター未遂」)。同年秋までに、10万人を超える公務員を解雇・停職処分にしているが、ギュレン運動のメンバーに対する追及を弱める気配はない。