リビア政府は2003年12月、化学兵器や核兵器など大量破壊兵器の開発を認め、同兵器の破棄と国際機関の査察受け入れに関し米英と合意した。02年8月には、1988年12月にアメリカの航空会社パンナムの旅客機がイギリス上空で爆破され270人の犠牲者を出した事件の責任を認め、遺族に総額27億ドルの補償金を支払うことで米英と合意している。また89年9月、フランスの航空機がニジェール上空で爆破され170人が死亡した事件についても、責任を認めたリビア政府は、2004年1月、補償額についてフランス政府と最終的に合意。これにより1992年以来テロ行為を理由に国連安保理によって同国に科せられてきた制裁措置が解除された。アメリカのテロ支援国家リストから除外されたいリビアは、欧米諸国との協調路線を明確にし、2004年6月にはアメリカと国交を回復。欧米日企業の石油開発攻勢が活発化してきた。11年初頭に勃発したチュニジアとエジプトの民主化革命の余波をうけて、同年後半にカダフィ政権は崩壊。しかし従来の経済的関係は、大きな変更もなく欧米の支援で実現した国民暫定評議会に継承されたものの、新政権の国内基盤はいまだ脆弱で、復興は多難である。