東アフリカの経済大国。1963年の独立以来、独立の英雄ケニヤッタ初代大統領と、同大統領死去にともない78年に就任したモイ大統領の二人が率いてきたケニア・アフリカ民族同盟(KANU)の一党支配下にあった。91年に複数政党制が導入されたが、野党の乱立や露骨な選挙妨害により、97年の大統領選でモイは5選を果たした。しかし2002年12月の大統領選では、モイが後継者として指名した初代大統領の息子ウフル・ケニヤッタは腐敗した長期政権に見切りをつけられて敗北。国民虹連合(NARC)のキバキ元副大統領が圧勝して独立後初めての政権交代が実現、清潔さを前面に打ち出したキバキ政権が誕生した。国際通貨基金(IMF)と世界銀行は、03年7月、新政権の汚職対策や民営化を評価して前政権末期に凍結していた融資を再開した。05年11月地方分権などを盛り込んだ憲法改正案の是非を問う国民投票を実施したが、否決された。同政権による公金不正支出疑惑や言論弾圧などの事件が目立つなかで、07年12月に大統領選挙が実施され、与党国家統一党(PNU)のキバキの再選が発表されたが、小差で敗れたとされた最大野党オレンジ民主運動(ODM)のオディンガ候補は「不正開票があった」として抗議。各地で暴動が発生。国連やアフリカ連合の調停にもかかわらず、1000人以上が死亡する事態となった。10年8月、過去の反省を踏まえて大統領の権限を制限するなどの条項を盛り込んだ憲法改正案が国民投票にかけられ、過半数の賛成を得て承認された。(→「ケニア騒乱」)