世界銀行が発表した「サハラ以南のアフリカの開発促進に向けて」と題する1982年の報告。報告者の名をとり一般にバーグ報告と呼ばれる。アフリカ諸国に対する同銀行の構造調整融資の根拠を支える資料としてその後使われてきた。同報告は、アフリカ経済の停滞の原因を、誤った貿易・為替政策、非効率な資源配分に立脚した公共部門、生産者の意欲をそぐ農業政策など、主としてアフリカ諸国の政策の失敗に求め、大胆な市場原理の導入と、輸出振興を促進する援助を提言した。この説明は、前年ナイジェリアのラゴスで開かれたOAU(アフリカ統一機構→「アフリカ連合」)特別首脳会議において採決されたラゴス行動計画が、停滞の原因を主として植民地主義などの外的要因に求め、内需拡大を提言するアフリカ側の危機脱出シナリオに立脚していたのと対照的である。この動きの背後には、80年代のアメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権の「小さな政府論」の登場という時代潮流があった。しかし90年代に入っても、構造調整融資によるアフリカ経済の改善は明確に見えず、対外累積債務問題が深刻化するなかで、99年以来、国際通貨基金(IMF)・世界銀行の対アフリカ政策においても、貧困削減に焦点を当てた貧困削減戦略ペーパーが、その前面に出るようになった。したがって、バーグ報告は当時のアフリカ経済の特質をある程度説明するのに成功したが、専ら原因を政府の失敗に求め、債務返済繰り延べを条件として画一的かつ強圧的に進めた改革は、アフリカ社会の現実に必ずしも適合せず、負の影響も残すこととなった。