1991年にソ連から独立した中央アジアの南東部に位置する内陸国で、旧ソ連諸国の最貧国である。2012年の推定人口は710万人。国の主要民族であるタジク人は、イラン語派西方方言群に属するタジク語を母語とし、宗教的にはイスラム教スンニ派を信仰する。タジク人以外に、テュルク諸語のウズベク人も数多く住み、さらには東部のゴルノ・バダフシャン自治州にはシーア派の分派であるイスマイル派を信仰するパミール諸族も住む。国土の90%をパミールおよびアライ山系の山々に覆われており、それゆえに、ソ連時代より国内各地域が地理的に分断され、地域ごとの政治派閥が形成された。1992年から97年まで続いたタジキスタン内戦も、その発端は地域派閥間の対立であった。内戦による死者数は6万人、難民は30万人といわれており、その渦中で中部山岳地域のガルムや東部のバダフシャン出身者の虐殺もあった。現大統領エモマリ・ラフモン(2007年まではロシア語風にラフモノフ姓を名乗った)は南部クーラーブ閥の出で、1994年11月より大統領職にある。内戦に参加したイスラム派を含む反政府勢力(タジク野党連合)との和平プロセスの中で着実にラフモンは全土での権力基盤を固め、99年11月の大統領選挙では97%の得票で圧勝した。2001年以降、ラフモンは内戦終結のために一度は和解したイスラム派など旧反体制派への攻勢に転じた。9.11テロ後にアフガニスタンに侵攻した欧米諸国は中央アジアの政治的安定を志向し、タジキスタンに軍を駐留させているロシアもラフモン政権を援護している。その結果、政権は長期化し、権威主義化が進んでいる。しかし、12年7月にはゴルノ・バダフシャン自治州で治安機関の高官が殺害されたことに端を発し、政府が反政府勢力の掃討を口実に部隊を派遣し、市民を巻き添えにして多数の死者を出す事件が生じており、内戦の余波はいまだに国内情勢に影を落としている。13年11月に、ラフモン大統領が4選。主要野党が選挙をボイコットする中での勝利だった。16年5月、国民投票により、ラフモン現大統領に限定して多選禁止規定を除外する憲法改正を実施。長男への世襲への布石ともささやかれている。経済は、綿作やアルミニウム精製が主産業だが、豊富な水資源を活用した電力の輸出を目指している。中央アジア最貧国であり、国民の多くがロシアなどに出稼ぎに行っている。11年の経済成長率は7.4%(国際通貨基金調べ)。