2012年議会選挙の結果、ジョージア(旧称グルジア。→「グルジア呼称問題」)では「ジョージアの夢」連合が勝利して政権が交代したが、その後支持率が伸び悩み、15年に入ると、世論調査によってはサーカシビリ前大統領が創設した旧与党「統一国民運動」が支持率で肉薄する場面も見られた。一方、サーカシビリが15年5月にウクライナ市民権を付与されて南西部オデッサ州の知事に任命されたため、二重国籍を禁じたジョージア憲法に従い、同年12月にサーカシビリはジョージア市民権を剥奪され、同時に外国人の政党運営を禁じる政党法に抵触するために「統一国民運動」党議長の地位も喪失した。こうした状況で16年10月8日に行われた議会選挙は投票率51.63%で、与党「ジョージアの夢・民主ジョージア」が比例投票の48.68%を獲得して圧勝した。一方「統一国民運動」の得票は比例投票の27.11%に留まった。小選挙区73議席のうち50議席が決選投票に持ち越されたが、この決選投票への対応をめぐり、サーカシビリがウクライナから「統一国民運動」に向けてボイコットを呼びかけるメッセージを発した。党執行部はこの呼びかけに反発し、党内対立が表面化した。同年10月30日の決選投票の結果、最終的な議席は「ジョージアの夢・民主ジョージア」が115議席、「統一国民運動」は27議席、「ジョージア愛国者同盟」が6議席、その他・無所属2議席となった。決選投票への対応から党内対立が表面化した「統一国民運動」は、17年に入ると主要幹部が党を離脱し、分裂した。