1991年に独立した旧ソビエト連邦(ソ連)領中央アジア5カ国の一つ。首都はビシュケク。2016年の推計人口は約600万人(国連人口基金)。国の主要民族であるキルギス人が人口の73%を占める。キルギス人の母語であるテュルク諸語キプチャク語群に属するキルギス語が国家語であるが、ソ連時代から広く通用しているロシア語も公用語の位置づけである。宗教的には、イスラム教スンニ派が中心である。ウズベク人が人口の15%を占め、南部に集住している。また、ロシア人も人口の6%を占め、主に北部に住んでいる。国土は縦横に走る山脈により地理的に分断されており、複雑な地縁・血縁のネットワークが存在する。中でも、北部4州と南部3州の政治的・経済的な隔絶は大きい。独立後、北部出身のアカエフ大統領により、急激な市場経済化改革が実施され、当初は「民主化」を志向する姿勢を強く示していた。しかし、経済的な停滞からアカエフは徐々に権威主義に傾倒してゆき、家族や側近による専横に国民の不満は高まっていった。05年3月、反アカエフ派の暴動により、アカエフは大統領から辞任してロシアに逃亡(チューリップ革命)。同年7月、南部出身のバキエフが大統領に選出されるも、縁故主義や汚職の蔓延は解消されなかった。10年4月、野党主導の市民集会によりバキエフは大統領の座を追われ、最終的にはベラルーシに亡命した。この時、チューリップ革命時にバキエフの同志だったオトゥンバエワが大統領代行に就任し、大統領権限を大幅に縮小する憲法改革を実施。11年10月、オトゥンバエワ暫定政権下で首相を務めたアタンバエフが大統領に選出。17年1月、前年の国民投票の結果を受けて議院内閣制への完全な移行と首相の行政権の強化を目する憲法改革を再度実施したが、これはアタンバエフが再び首相となって強い権力を維持するための布石だとの見方もあり、政局は未だに不安定である。経済的にはクムートル金山での鉱業と農牧業の他に目立った産業がなく、国民の多くがロシアやカザフスタンに出稼ぎに行っている。13年は10.9%という高い経済成長率を記録したが、15年は3.5%と年ごとの振れ幅が大きい。15年8月、キルギスはロシアが主導するユーラシア経済連合に正式に加盟。今後は、ロシアによる政治的・経済的な影響力がさらに強まることが予想される。