2016年9月2日、旧ソビエト連邦(ソ連)時代から、ウズベキスタン政治のトップとして27年にわたり君臨し続けてきたカリモフ大統領が脳内出血で急逝した。憲法上、大統領が職務不履行になった際には上院議長が代行を務めるという規定がある。しかし、9月8日の上下院合同総会の場で、ユルダシェフ上院議長は大統領代行への就任を辞退し、03年からカリモフ前大統領の右腕として首相を務めてきたミルジヨエフ首相の大統領代行への就任を提案し、承認された。従前から高齢と健康不安によりカリモフ前大統領の後継者問題については、長女グリナラへの世襲も含めて様々な憶測が飛び交っており、死去の直後は国内の政治的混乱を懸念する声もあった。しかし、ミルジヨエフ大統領代行への権力移譲はスムーズに進んだ。そして、16年12月4日の大統領選挙では、体制派政党の一つである自由民主党から立候補し、88.61%の得票率で当選した(対立候補は3人)。ミルジヨエフは大統領代行時より、カリモフ前大統領の政治路線の堅持を表明していたが、長いこと緊張関係にある隣国のキルギスやタジキスタンに歩み寄りの姿勢を示すなど、独自策も示している。また、ミルジヨエフ大統領はもともとタシケント灌漑・農業機械化大学で副学長を務めた研究者・技術者であり、水資源問題への造詣が深く、地域の喫緊の問題である水問題へのコミットメントが期待される。