1991年にソビエト連邦(ソ連)から独立した中央アジア最大の面積を有する国。首都はアスタナ。人口は約1790万人(2016年、国連人口基金)。人口の65.5%をカザフ人が、21.4%をロシア人が占める。テュルク諸語の北西語群に属するカザフ語が国家語であるが、都市部を中心にロシア語も広く通用する。人口の7割がイスラム教徒であり、スンニ派が主流である。山岳部を除き、国土の大半をステップ(丈の低い草原)と砂漠が占め、歴史的にはカザフ人が遊牧を営んできた。ソ連時代にはカザフ人の人口が3割台にまで落ち込んだ時期があり、特にスターリン時代に朝鮮人、チェチェン人など多数の民族の強制移住先となったこともあり、際だった多民族性を特徴とする。
独立当初、ナザルバエフ大統領は自由度の高い民主主義的な国家の建設を目指していたが、議会との対立が激しくなり、徐々に権威主義化が進められた。1995年には国民投票によって大統領の権限を大幅に強化する憲法改革が行われた。大統領の3選禁止規定にもかかわらず、すでに5選している(91年、99年、2005年、11年、15年)。15年4月の大統領選挙でのナザルバエフの得票率は97.75%であった。議会では、体制派与党の「ヌル・オタン」党が圧倒しており、野党の活動も許容されているがその勢力は小さく、事実上国家による統制下にある。他方で、ナザルバエフ大統領に正面から反旗を翻した政治家は軒並み失脚し、一部は投獄や国外逃亡の憂き目にあっている。ただし、政治・経済・治安面を含めて国内状況が安定していることから、ナザルバエフ大統領への国民の支持が厚いことも確かである。外交面では、隣国ロシアや中国との関係を重視し、特にロシアとベラルーシとの間で15年に発足したユーラシア経済連合はナザルバエフ大統領のイニシアチブによるところが大きい。他方で、欧米日などともバランスの取れた関係構築を目指している。10年には旧ソ連諸国では初めて欧州安全保障協力機構(OSCE)の議長国を務めた。また、カザフスタンは、アジアを中心とする26カ国が正式加盟し、日本もオブザーバーとして参加しているアジア相互信頼醸成措置会議(CICA)を主導している。
経済面では、カザフスタンは、独立当初から急進的な市場経済改革路線を取り続け、2000年以降は、潤沢な石油資源の輸出を背景に急速な経済発展を遂げた。しかし、08年のリーマン・ショック、さらには近年の油価安により、経済成長率は鈍化し、15年には1.2%にまで落ち込んだ。低炭素化と産業多角化が今後の国民経済発展の鍵だと広く理解されており、経済特区の設置やグリーン経済の推進など対策が取られているが、経済構造改革は思うようには進んでいない。