東京都中央区銀座には、銀座らしい街並みを形成するための銀座ルールがある。銀座通連合会は、1999年に80周年を迎えた際に「銀座まちづくりヴィジョン」を作成し、これを基に中央区と協議を重ねた結果、「地区計画・銀座ルール」が制定された。このルールは、建物の最高高さは56メートル、容積率も最大で1100%としたもので、当時の規制緩和の動きのなかで制限性の強いものであった。これに加え、街並みのなかにみだりに駐車場の入り口が作られないよう、駐車施設整備のルールも定められている。
2002年、銀座は、容積率の大幅な緩和が可能になる、都市再生特別措置法による「緊急整備地域」に指定された。銀座に超高層建物が出現することを危惧した地元のまちづくり団体「銀座街づくり会議」(04年設立)は、中央区と協議を重ね、06年、「地区計画・銀座ルール」の例外規定をなくして、建築物の最高高さを維持するほか、屋上工作物の高さ規制などを設けることにした(新銀座ルール)。ただし、昭和通りを含むその以東の地域においては、銀座通りを中心とする街とは異なった特質を持つことから、「文化等の維持・継承に寄与する」大規模な開発計画であれば高さの特例を認めることとした。
この間、05年に特定街区制度を活用して銀座8丁目に121メートルの銀座三井ビルディングが建設され、さらに、11年、新銀座ルールに沿った松坂屋と森ビルの共同開発計画が決定された。また、13年、昭和通り以東地域の特例として、背面に最高高さ145.5メートルの歌舞伎座タワーを併設した歌舞伎座の建て替えが完成した。
大阪市の御堂筋沿道地区にも街並み誘導のルールがある。第二次世界大戦前の市街地建築物法によって沿道の建物の最高高さは100尺(約31メートル)であった。戦後、新たに建築規準法が制定されたが、高さ制限は引き継がれ、急ピッチで進められたビル建設は、31メートルの規制を受けることになった。1970年、建築規準法の改正により容積制が導入され、高さ自由となった。しかし、建築物の高さをこれまでどおりとする行政指導が行われ、高さ制限が継続されたのである。
91年、当時の市長の発案が引き金となり、御堂筋側の壁面の位置を道路境界から4メートル後退するとともに、御堂筋から目視される建物の基壇部分の最高高さを50メートルにするという、「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」が95年に成立した。2002年、御堂筋沿道地区は、都市再生特別措置法による「緊急整備地域」に指定され、この緩和措置によって、建物の基壇部の高さ制限は守られたものの、基壇上の高層部分の最高高さが70メートル(04年)と140メートル(07年)の二つの建物が建設された。
このような経緯を経て、13年、基壇部の高さ50メートルは継承するが、高層部分の高さ規制を緩和する地区計画が決定された。現在の御堂筋には、高さ31メートルの建物と基壇部の高さ50メートルの建物が併存している。
このようなまちづくりのルールを持つ街は、全国にいろいろある。東京の丸の内地区も同様であり、京都には清水寺の周辺地区をはじめとしていくつかある。訪れて、ちょっと違うなという街には大体こうしたルールがある。