輸血拒否が生命倫理の問題として取り上げられるのは、宗教団体の「エホバの証人」が聖書解釈に基づく宗教的信念から、治療における輸血を拒否することをめぐってなされたものに代表される。この場合、生命倫理の問題となるのは、その宗教的信念ではなく、患者が生命維持よりも宗教的信念を優先させることを、医療の場で認めることができるかということである。患者の自己決定権の尊重という立場から治療の選択権を認めるとしても、医学的判断からは輸血をしなければ生命維持が困難である場合に、医療者には深刻な問題が突きつけられる。日本でも、信者の子どもに対し輸血をするか否かをめぐって議論が起こった聖マリアンナ医科大学病院の例(1985年)を始め、いくつかの事例があるが、現在では、成人とみなされる患者に対しては輸血拒否の意思を尊重することも受け入れられてきている。これには、輸血をせずに手術を行う「無輸血手術」の技術の発展が関係しており、さらに「閉鎖回路による希釈式自己血輸血」なども開発され、エホバの証人の教義と技術との関係について議論がなされている。