ある事柄にかかわるリスクについて、多数の関与者が情報を共有し、相互に意思の疎通を図ること。東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、原子力のリスクが様々な場で議論されるようになった。だが、これに先立ち、BSE問題を通じて、科学技術のリスクの取り扱いの難しさが痛感され始めていた。科学技術におけるリスクも、リスク認知、リスク評価、リスク管理、リスクコミュニケーションなどが考慮されるべきという点では、他のリスクと同様であろう。化学プラントの安全管理などでは、(リスク)=(発生確率)×(被害の大きさ)とする常識的な方式で十分な場合が多い。しかし、1990年代にイギリスで社会問題化したBSEでは、当初科学者が家畜のBSEは人間には感染しないとしたにもかかわらず、後の96年になって、実際には人間のvCJD(変異型クロイツフェルトヤコブ病)の原因となり得ることが発表された。つまり、科学技術の専門家が、事象の発生の可能性自体を正しく認知できていなかったことになる。一般に、科学技術のリスク評価では、専門家の役割が大きい。だが、イギリスのBSEリスク評価で中心的な役割を果たした家畜の病気の専門家は、人間の病気に対する知識を十分にもっておらず、この2分野の専門家相互のコミュニケーションも不十分だったとされる。別の言い方をすれば、リスク評価の能力をもつ人間が、政府の諮問委員会などにしかるべく選ばれていなかったわけである。この他にも、当該の科学技術の存否に直接利害関係のある科学者がリスク評価を行えば、リスクの評価や管理に直接・間接に否定的な影響を与えかねないという問題もある。日本の原発事故では、事故の発生確率だけではなく、被害の大きさの検討も不十分という側面があった。確率も被害の大きさも科学的に不確実で予見しがたいというリスクも登場し始めている。従来のように、リスクを正しく伝えれば科学技術が社会に受け入れられるという、欠如モデルに基づく社会的受容(PA ; public acceptance)型のリスクコミュニケーションは、再考される必要がある。