三つの輪が外れないように絡み合っているが、そのうちのどの二つの輪をとっても互いに絡まってはいないため、三つの輪のどれか一つでも切ってしまうと、ほかの二つの輪も外れてバラバラになってしまうという図形(図「三輪違い」参照)。ルネサンス時代のイタリアの貴族「ボロメオ家」の家紋の一部に小さく使われている図形にちなんで、ボロミアンリングともいわれている。かつてフランスの哲学者のJ.ラカンが三つ葉結び目と似ていると主張したが、以来、三つ葉結び目との引き合いに出されることが多い。しかし、形状は似ているが、全く違う性質をもつ。これらの輪が完全な円形で、厚みをもっている硬い金属であれば、このような図形を三次元空間の中で実現することは不可能である。なお、実際ボロメオ家の家紋で使われている輪は完全な円ではない。
このような、二つずつなら離れていながら三つになると拘束し合う構造は原子核の中にもあって、ボロミアン核(Borromean nucleus)と呼ばれている。また、この三輪違いの構造はやわらかい輪なら作成は難しくなく、この構造を分子で作る方法はバイオ関係でも注目されていて、いくつもの作成方法の発表が行われている。
三輪違いのこのような性質をもとに、ラカンは「現実界」「想像界」「象徴界」という三つの世界の関係を例示したと思われるが、あくまでも数学的な概念を使った例示であって、ラカンの論理を数学が保証しているわけではない。ここから三つ葉結び目へと至る論理は意味不明で、どうして三つ葉結び目から三輪違いが出てくるのかという説明も理解できない。数学で得られた概念によって刺激されるのは、哲学界も同じで、ある意味大いに歓迎すべきことではある。しかし、哲学の場合、自分の主張を数学で箔付けするために利用することが多く、とんでもない方向に話が進んでしまうことも多い。三大数学者として知られるJ.ガウスは、弟子への手紙に「哲学者がとんでもないことを言っていることに、髪の毛が逆立ちませんか」としたためたという逸話もある。