直線や時間などの定義や、公理のあいまいさによって生まれ、史上最もよく引用されたパラドックス。ゼノンの逆理ともいう。「アキレスは亀を追い抜けない」、「飛ぶ矢は止まっている」などがその例。しかし、B.ラッセルが「近代数学の無限の扱い方から、ゼノンの逆理は成立しない」と述べた。つまり、「近代の微分積分の基礎の完成とともに、これは逆理でなくなった」というのが、ラッセルの見解であるし、おそらく多くの数学者はこれに同意するだろう。
最も有名な「アキレスは亀を追い抜けない」は、アリストテレスの「自然学」にて、大意として以下のようなことが書かれている。「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである。」
最も遅いものの代表を亀とし、最も速いものの代表をギリシヤ神話に登場するアキレスとして、このパラドックスが伝わっている。このパラドックスは、一定の区間をどんどん小さくなる無限区間に区切ることによって成立しているようにみえるが、亀とアキレスの速度が一定であれば、その区間の長さは公比が1より小さい無限等比級数で、その和は一定の値になることが、高校の数学でも学べる。だから、一定の距離で追い着くのである。ゼノンのパラドックスは、当時の直線のとらえ方に問題があって出てきたものである。当時、直線は有限個の点の集まりと考えられていた。それゆえ、線分の長さは比で表され、有理数(分数の形で表せる数)だけが数であった。ゼノンはむしろ、そういう体系に疑問を投げかけるために、このパラドックスを出したという。
一方、ラッセルが「パラドックスではない」と宣言してからも、哲学の周辺ではいくつもの解釈が行われている。たとえば、インターネット上では、「この前提に二者の速度が一定とは書いていない。亀がアキレスより遅いのだが、その速度差が縮まるようにすれば追い着けない」とする説が紹介されており、そのような説明を書いた本もある。しかし、この説には無理がある。ゼノンがアキレスと亀を選んだ理由は、その速度の差が激しいことを明確にするためである。だからこそ、一般の人にもパラドックスと考えられてきた。「亀とアキレスの速度差が(0に近く)縮まる」というのは、この問題の前提を完全に変えることで、ルール違反である。