クレタ人であるエピメニデスが「どのクレタ人もウソしか言わない」と言った。では、この発言はウソなのだろうか。このことばは新約聖書の中にあったとされ、これは自己言及パラドックスともいい、本格的パラドックスである。また、エピメニデスのパラドックス(Epimenides paradox)、クレタ人のパラドックス(Cretan paradox)などともいう。エピメニデスの言ったことが本当であれば、エピメニデスはクレタ人だから、「ウソしか言わない」に反している。またエピメニデスの言ったことがウソであれば、エピメニデス自身はウソをついているにもかかわらず、「クレタ人の中にはウソを言わない人がいる場合がある」となる。いずれにしてもややこしい。
おそらく、エピメニデス自身は、「自分を除くクレタ人の多くは」の意味で発言したのだろう。その解釈で「パラドックスではない」と批判する人がおり、そういうブログもある。しかし、「クレタ人(エピメニデス)のパラドックス」というときは、「クレタ人すべてがいつも」と解釈するのが、数学で扱うときの約束である。クレタ人のパラドックスは少々わかりにくいが、これの亜流として、床屋のパラドックス(Barber Paradox)がある。ある村の唯一の床屋のAが、「この村では、床屋が髭をそることになっていて、私は私以外のすべての村人の髭をそる」と言った。では、Aの髭は誰がそるのか。この自己言及のパラドックスは、後にラッセルのパラドックスとして表現されて、集合論に多くの問題を投げかけた。