[0,1]区間(0以上1以下の実数)の数全体が、可算無限の濃度、すなわちその要素に対して順番に番号が付けられる集合であると仮定して矛盾を出す背理法のことを対角線論法という(→「濃度のパラドックス」)。すなわち、可算無限であると仮定すると、[0,1]区間の数の全てはA1,A2,A3,A4…と並べられる。これらの数をすべて小数で表しておく。そのうえで、新たな数C=0.c1c2c3c4…を、cnがAnの小数第n桁と異なるように(また、0,1とも異なるように)置く。こうしてできたCは、[0,1]区間の数であるが、並べた数の中には入っていない。よって矛盾であり、この矛盾は「[0,1]区間の数全体が可算無限の濃度」という仮定が間違っていたからである。
こうして、[0,1]区間の数全体は可算無限より大きい濃度の集合であることがわかった。この濃度を連続体の濃度という。可算無限の集合は「アレフゼロ(記号)」と表すが、このあと「アレフゼロとcの間の濃度は存在するのか」という問題が起こった。「そのような濃度が存在しない」というのが、連続体仮説(continuum hypothesis)である。ゲーデルは当初連続体仮説が成り立たないことを証明しようと試みていた。しかし、予想とは逆に、1940年に公理的集合論(axiomatic set theory 公理から構築する集合論)の公理に連続体仮説を加えても矛盾が起きないことを示すことになった。一方、逆に連続体仮説を否定して、それ以外は変えない公理系でも矛盾は起こらないことが示された。これを連続体仮説のパラドックスという。