アデノシン三リン酸(ATP)合成酵素はぐるぐる回転しながらATPを連続的につくりだし、あたかも超精密機械のような働きを示す。そのような働きを示す化合物を分子マシンないし分子機械、ナノマシン(nano-machine)などといい、その創出は化学の大きなテーマになっている。分子マシン設計の基本方針はマクロな機械の設計と同じで、単一の機能をもつパーツを集めて組み上げていく。そのようなパーツの一例は、分子ブレーキ(molecular brake)である。1990年代に始まった研究から生まれた初期の分子ブレーキの基本は、トリプチセン(triptycene)と呼ばれる三枚羽根の風車ないし歯車のような分子である。トリプチセンに反応性の高い、自由に回転している側鎖を付け、光、熱、あるいは適当な試薬を加えて側鎖を歯車の間に入り込ませると回転が止まるが、これらを加えるのをやめれば回転が再開する。この他に、光、あるいは熱によってイオンを閉じ込めたり、放出したりすることによって電流を流したり止めたりする分子スイッチ(molecular switch)、2枚の円板状の分子の間を銀イオンがくるくると回転する分子ベアリング(molecular bearing)もつくられている。今後の課題は、それらのパーツを用いて、より高度な機能をもつ分子マシンを組み立てることだろう。