公共圏は、国家でも私的経済社会でもなく、その中間に出現する。それは中間的なものであるから、国家の公的要素と市民社会の私的要素の混合体である。
公共圏が独自な現象として登場するのは近代である。古代の都市国家では、政治共同体のメンバーは自由人であり、自由人は全面的に公的人間であった。社会生活のなかで、国家と私的社会の区別はなかった。私的なものは家族のなかにあり、それは公的空間から隠される。私的利害を中心に動く近代経済が社会生活に影響するにおよんで、国家と経済社会とが分化する。このとき、「人間」(私人)と「公民」(国家メンバー)の明快な区別が生まれた。これと並行して、私人でありながら、私的利害を超えて普遍的な公的問題を論議する公衆が登場し(ハーバーマス)、公共圏が生まれる。
アーレント(Hannah Arendt 1906~75)が古代の公民を特徴づけたように、公的活動は言語活動による公的事物の討議である。同じことを近代の公衆も行う。ハーバーマス(Jrgen Habermas 1929~)はこの活動をコミュニケーション行為(Kommunikatives Handeln 独)と呼ぶ。
現代では公衆は消費公衆と論議公衆に分化する傾向があるが、論議公衆のみが本来の公共圏の担い手である。その具体例は、いま大きい存在になろうとしているNGOやNPOであり、19世紀以来の生協組織も公的な事柄を論議するかぎりで、公共圏のメンバーである。こうして伝統的な「公」と「私」では、処理できない社会空間を、公共領域と呼ぶ。国家的「公」と経済的「私」の間に割って入る人間類型(公共圏の公共人)が、地球上のあらゆる地域で決定的な役割を果たすであろう。