日本語で「市民」というとき、二つの概念が混同されがちである。西洋中世都市の「職業人」(商人と手工業者)も「市民」と呼ばれるが、それは歴史学上のブルジョア(bourgeois 仏)である。他方、ギリシャのポリス、ルネサンス期の都市国家、近代のコモンウエルス(国家)という政治共同体のメンバーもまた市民と呼ばれるが、これは公的人格の意味での公民であって、必ずしもブルジョアではない。都市の職業人が作る利益社会は経済的社会であり、それはブルジョア社会と呼ばれる。公的人格をメンバーとする共同社会は civil society であり、市民社会と翻訳されるが、正しくは公民社会(国家)であり、初期近代では civil society とコモンウエルスは同一であった。
近代経済が発展し、無視できない勢力になるとき、公民社会は分裂し、近代国家と経済的市民社会に分かれる。これが用語の上でも確立するのは19世紀前半である。ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831)の『法哲学』(1821年刊行)の「家族、市民社会、国家」は歴史的事実を忠実に反映している。これ以降、市民社会はブルジョア社会と一致するようになった。この二分化は「フランス人権宣言」(1789年)がいう「人間の権利」と「市民の権利」にも反映している。「人間」とは、実際には私的人間、すなわち職業人(ブルジョア)であり、「市民」は公的人格(公民)である。
近代の歴史のなかでもう一つの人間類型が登場していた。天下国家を批判的に論議する公衆(publicum)である。カント(Immanuel Kant 1724~1804)によれば、理性を公的に使用できる人間であり、私的人間でありながら、半公的な人格として公的事柄を議論する。現代では、この公衆は、NGO、NPOの人々が論議する公衆にあたる。要するに、日本語の「市民」のなかには、私的ブルジョア、公民(国家メンバー)、公衆の三つが含まれていることに注意しなくてはならない。