ごく近年まで差別は、階級的区別の派生態であるとみなされてきた。差別は近代社会の階級的区別では、とうてい把握できないほど根深い。差別は、社会が国家として組織されるときに、必ず発生する。国家をもつ社会は、王政、貴族政、民主政を問わず、国家権力を樹立するときには必ず暴力を行使するし、暴力は必ず差別を生む。暴力と差別は同根である。人々は内部の区分を作り、それを上下関係に秩序づけて、各階層の支配欲望をヒエラルキー(Hierarchie 独)として配分するが、その最下層にもっとも弱い少数派が位置づけられる。もし適当な最下層が身近にいないなら、暴力的に無理にでも最下層を創造する。その典型がインド的カーストであるが、原理的にはあらゆる国家と社会に共通である。
時代によって、社会構造と政治的条件が異なるに応じて、差別される集団と階層は異なるが、人間は国家的組織を作るときには、必ず差別構造を欲望する。この人間学的原事実を、もっと重視しなくてはならない。テロリズムと対抗テロリズムの根は、直接間接の暴力的差別にある。