地球全体が全面的に管理社会になろうとしているとき、個人の影は薄い。個人の重みを取り返し、個人の重要性を強調する一つの手段として法の理念をかつて以上に高く掲げる必要があるのではないか。ここでいう法は実定法の法律ではなくて、正しさの理念、justであること、つまり正義(justice)である。それに基づいて法(権利)が成り立つ。法律は正義の理念に基づき、人間の相互行為を公平無私の第三者が判断し、その決定を執行するときの規則である。規則運用以前に法と正義の理念があり、その理念は結局のところ公平の理念である。
古来、人類は日常生活のなかで、誰もが公平な審判者になりえたし、慣習法が法の規則になってきた。人は法の精神を内面化し、他者を公平の観点から処遇する経験を重ねてきた。国家制度としての司法組織がなくても、人は法の精神を実行することができたし、いまも可能である。人間個人が唯一無比の価値をもつものとして他者たちによって評価されることが「正しい」人間関係であり、個人は社会的に公平に価値評価される「権利」をもつ。そのような評価態度は基本的には公平の精神を社会のなかに浸透させて、いまや弱者となった人間的個人を守る重要な手段である。このようにして個人の価値を守ることもまた管理時代の思想的課題になる。