プラトン(Platn BC428/7~BC348/7)の『国家』、アリストテレス(Aristotels BC384~BC322) の『ニコマコス倫理学』を見れば、もともと正義は「ノモス(法)」の内面化を意味していたことがわかる。それぞれの分を守り、えこひいきや偏りを排すること。それが徳としての正義だった。しかしキリスト教化の中で、正義は、法の名のもとに虐げられた無辜(むこ)の者たちへの憐れみという、もう一つの顔を加える。
こうして正義は、不当な仕打ちを憤る「義憤」と、それを鎮撫する「法的正義」との間で引き裂かれ、「正しい暴力は可能か」という問題を抱え込むことになる。ベンヤミン(Walter Benjamin 1892~1940)が、「暴力批判論」で問うように。近代の経験を見ればよい。正義を求める革命的暴力は、決まって法制定的暴力に、次いで法維持的暴力に転化する。パスカル(Blaise Pascal 1623~62)は言っていた。力なき正義は無力である、だから理想は正義に力を与えることだ。しかし現実には、有無を言わさぬ力が正義となる、と。清教徒革命の時代、ホッブズ(Thomas Hobbes 1588~1679)の『リヴァイアサン』はこの論理を社会契約説として練り上げる。強大な暴力を結集する主権者のみが、何が正しいかを決するのである。ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712~78)の『社会契約論』の人民主権の論理も、最後は「自由」へと強制する暴力に転化する。
今日、レヴィナス(Emmanuel Levinas 1906~95)は倫理的な「慈愛」を正義に拮抗させる。しかし愛が義憤の暴力として現れることをやめない以上、問題は解消しない。この点で、マキャベリ(Niccolo di Bernardo Machiavelli 1469~1527)を継承するスピノザ(Baruch de Spinoza 1632~77)の『国家論』が、正義を倫理的な問題としてでなく、「群集の力能」のフィジカルな構成問題として考えていたことは注目に値する。