認識論における狭義の観念論は、心的表象としての観念(idea)を超えて事物の存在を語ることを認めず、知覚から独立した外的事物の実在性を否認する立場。「存在するとは知覚されることである」とするバークリー(George Berkeley 1685~1753)の思考が典型。観念論は独我論に陥る可能性をはらむが、それを洗練させる思考の一つに現象主義がある。
対して、外的事物の実在を積極的に認める立場が認識論上の実在論。これにも、表象が事物のあり方を直接反映すると考える直接的実在論(direct realism)や、表象の主観性を前提としつつも、外的事物の実在を認める表象主義的実在論(representative realism)などがある。
また、自らの認識論上の立場を、超越論的観念論(der transzendentale Idealismus 独)と呼ぶカント(Immanuel Kant 1724~1804)は、認識対象を現象に限定しつつも、物自体の存在を認め、また認識の客観的妥当性を確保しようとした。カント以降ドイツでは、フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762~1814)、シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775~1854)、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831)らが、それぞれ、カントが考えた主体の能動性や、経験的意識を超えた理念(Idee独)の積極的意味をさらに徹底させる思考を展開したが、しばしば一括してドイツ観念論(der deutsche Idealismus 独)と呼ばれる。
ちなみに、近代以降の哲学においては、傾向としては観念論的な立場が主流となってきたといえるが、同時にまた、実在論を擁護し、その復権を図る試みがくりかえし行なわれてもきた(21世紀になってからも、たとえば「思弁的実在論」(speculative realism)、「新実在論」(der neue Realismus 独)といった立場が現われている)。このように現在に至るまで、観念論と実在論の対立は、さまざまな仕方で反復され、認識論や科学哲学のなかでたえず継続されている。