問答法、弁証論とも訳される多義的な語。元来は、ロゴスを交わすこと(dialogos 希)、つまり対話や問答の技術を意味する。ソクラテスが実践したこの問答法は、プラトンにあって、分割と総合に基づく哲学的探求法となった。他方でアリストテレスは、真なる推論としての分析論から弁証論を区別した。後にこの用法を継承したカントは、経験を超え出る推論が二律背反(Antinomie 独)などのアポリア(aporia 希)に陥ることを暴く「仮象の論理学」として弁証論を位置づけた。
こうした意味をふまえつつ、積極的な形で弁証法を捉え直したのはヘーゲル(1770~1831)である。ヘーゲルにあって弁証法は、存在と思考を貫く運動の論理となる。それはいわば、単独で存在すると思われる事柄が、むしろ対立する事柄との関係のうちにあり、あるいはそれへと逆転する事態、さらにその矛盾した関係全体のうちで当初の事柄の真相が成立する事態(またそれを捉える思考の道程=方法)を示すものと言える。ヘーゲルによる弁証法の把握は、その後、特にマルクス(1818~83)に引き継がれたが、マルクスは弁証法の基礎を物質的なものと捉え、後の諸思想に多大な影響を与えた。
弁証法への評価は多様であり、特にヘーゲル的な弁証法は、さまざまな批判を受けてもきたが、他方でサルトルや否定弁証法を主張するアドルノ(Theodor Wiesengrund Adorno 1903~1969)らの思考に批判的に引き継がれている。