道徳的になすべきことを決める基準を、行為が結果として生みだす功利性・効用(utility)に見いだし、関係者全体に対する最大限の功利性をもつ行為がなされるべき行為であると考える倫理学上の立場。行為の帰結、もしくは行為が実現する目的を考慮する点で、帰結主義(consequentialism)ないし(倫理学上の)目的論の一つとなり、行為の帰結とは独立に道徳的基準を考えようとする義務論(deontology)の対極をなす代表的学説としてしばしば論及される。
古典的功利主義の代表者は、最大多数の最大幸福をスローガンとして、行為の功利性を快(幸福)の産出に見いだしたベンサム(Jeremy Bentham 1748~1832)である。その後ミル(John Stuart Mill 1806~73)は「快の質」を問題とし、シジウィック(Henry Sidgwick 1838~1900)は、功利主義の理論的基礎づけを試みた。
ただし功利主義には、さまざまな批判が投げかけられてもきた。例えば、古典的功利主義は社会全体の幸福の最大化を求めるが、それゆえに、個人の幸福を犠牲にする過度の要求を行う、あるいは「義務論的な制約」を侵害したり、「人格の誠実さ」を破壊することになる、また、さまざまな快・欲求の質やその形成過程を不問にしたままそれらを比較計量する、等々である。
こうした批判への対応にも関係して、現代では功利主義の内部にさまざまな立場がある。例えば、功利性の原理は個々の行為を選択するうえで用いられるのか、一般的な規則の設定のために用いられるのか(行為功利主義/規則功利主義)、功利性を快の産出に見るのか、選好(preference)の充足に見るのか、などがその論点となる。また、さまざまな批判をふまえつつ功利主義理論の洗練を試みたヘア(Richard Mervyn Hare 1919~2002)をはじめ、「動物の権利」の主張で知られるシンガー(Peter Singer 1946~)などが功利主義を擁護する現代の代表的論者。生命倫理学などの応用倫理学においても功利主義はしばしば援用されるが、その妥当性をめぐる原理的な論争は現在も続いている。