アリストテレス(Aristotels BC384~322)からトマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1225~74)に至る哲学的伝統においては、真理を「知性と事物との合致」として捉える真理の対応説(correspondence theory)が取られてきた。「雪が白い」という命題や信念が真であるのは、実際に雪が白い場合であるというわけである。これが日常的な真理観の一部を捉えていることは疑いない。しかし、思考や命題と事実との一致は、「真であること」の条件としては適切なものであるとしても、私たちが何かを「真と見なすこと」の条件としては適切ではない。実際に思考や命題が事実と一致していることはいかにして正当化されうるのか、その点が明らかではないからである。デカルト(Ren Descartes 1596~1650)は「自らが明晰(めいせき)判明に知得するものが真である」とする真理の明証説(evidence theory)によってこの問題を回避しようとするが、ここでも同じような問題が生じてしまう。自らの考えが明晰判明であるという保証を他者に求めることはできないが、しかし自らで保証しようとすれば循環論証に陥ってしまう。
真理の条件を諸命題間の無矛盾性・整合性に求める真理の整合説(coherence theory)をとるならば、こうした問題は解消される。しかし、無矛盾でさえあれば、複数の解釈が共存しうることになる。これは真理の相対主義にとっては好都合なことであるが、その場合、対応説が捉えていたような日常的な真理観を維持するのが難しくなる。真理の合意説(consensus theory)は日常的な真理観を放棄して、真理を合意として捉え返す。トマス・クーン(Thomas Kuhn 1922~96)によれば、科学的真理とは実在のあり方を正しく言い当てたものではなく、その時代における科学者たちの合意事項にすぎず、パラダイム転換によって支持されなくなるようなものなのである。ハーバーマス(Jrgen Habermas 1929~)もまた、理想的な発話状況における討議のなかで形成される合意こそが真理であるとする。