日本語の「性」は多様な意味を持っている。一つは、男女の性差を表す「セックス」および「ジェンダー」という意味である。セックスとは男女の生物学的性差を指し、ジェンダーは社会的、文化的、歴史的に形成された性差を表す。「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」というボーヴォワール(Simone de Beauvoir 1908~86) の言葉は、ジェンダーという考えを端的に表している。「セックス」と「ジェンダー」の区別は、生物学的な違いを根拠として男女の違いを説明する生物学的決定論に対抗することを目指す第二派フェミニズム運動を通して練り上げられた。この二つの区別に関連して、男女の性差を、生物学的に決定されているとする立場は「本質主義」(essentialism)、社会的、文化的に構築されたものだとする立場は「構築主義(constructionism)」とも呼ばれ、両者の論争がある。バトラー(Judith Butler 1956~) の「ジェンダー・トラブル」(1990年)は、セックスすらも言語を通して構築されていると論じてよりラディカルな立場を表明し、論争に一石を投じている。また、「性」は「セクシュアリティー」を表す場合もある。セクシュアリティー自体も多義的で、セックスとジェンダーの内容を含む性差にかかわる事柄を指す包括的な意味で使われる場合もあれば、性的欲望や性行動という「性にかかわる活動」という意味で使用される場合もある。フーコー(Michel Foucault 1926~84)は「セクシュアリティの歴史I 知への意志」(1984年)の中で、権力と結びついた知こそが語るべき対象としてのセクシュアリティーを生み出すと論じて、性をめぐる議論に大きな影響を与えた。