メタ倫理学とは、「善き生とは何か」「いかなる行為が正しいのか」といった実質的・規範的な問題を考察する時に我々が用いている価値語や道徳的判断についての意味論的、認識論的、そして存在論的な性質を分析する倫理学の一分野。分析的倫理学とも呼ばれ、ムーア(George Edward Moore 1873~1958)の「倫理学原理」(1903)に端緒を持つ。
「何をなすべきか」という規範的な問いに答える前に、まずは「それ自体において存在すべきものは何か」を考察しなければならず、そしてこの問いはさらに「それ自体において善いものとは何か」という問いに分析される。倫理学の中心問題は、この「善とは何か」であり、まず初めにこの問いに取り組まなければならない。ムーアによれば、善は客観的で実在的な特性であるが、ただ「直覚」によってのみ把握される単純で分析不可能なものであるため、自然科学や他の経験科学の主題とはなりえない(直覚主義 intuitionism)。このような特性を有する善を何らかの事実(たとえば快)によって定義することは「自然主義的誤謬」(naturalistic fallacy)を犯しているのである。
メタ倫理学における対立点として、「道徳的判断は道徳的事実に基づいて真偽を問いうるか」という問題がある。非認知主義(non-cognitivism)は、道徳的判断とは我々の肯定的あるいは否定的な態度や感情を表出しているものにすぎず、道徳的事実に基づく仕方で真偽を問うことはできないと考える。エイヤー(Alfred Jules Ayer 1910~89)やスティーブンソンの情動主義(emotivism)、ヘア(Richard Mervyn Hare 1919~2002)の指令主義(prescriptivism)、ブラックバーンの準実在論やギバードの規範表出主義は、この立場を支持している。他方、認知主義(cognitivism)は、道徳的判断は道徳的事実を述べているものであり、真偽を問うことができると主張する。そして認知主義の内部では、マッキーの錯誤理論と道徳実在論(moral realism)との間で対立がある。前者は、道徳的判断は真偽を問える有意味な判断であるが、それが指示している道徳的事実は実は存在しないため(反実在論 anti-realism)、常に偽となる判断であると考える。他方後者は、道徳的事実の実在を認め、この事実と一致する判断は真となり、一致しない判断は偽となると主張する。そしてさらに道徳実在論内部での対立があり、道徳的事実を非自然主義的事実と捉える立場(ムーアや感応性理論のマクダウェル)と、それを科学的事実と同じ自然的事実と捉える立場(自然主義)が存在する(コーネル・リアリズム、レイルトン)。