地球環境問題を倫理的問題としてとらえ、その解決を目指す倫理学の一分野。カーソン(Rachel Louise Carson 1907~64)の「沈黙の春」(1962)などに代表される地球環境への危機意識を時代背景として成立した環境倫理学は、生態学(ecology)などの環境科学の知見と環境保護思想とを接続し、地球環境問題にアプローチする。人間以外の存在の道徳的身分、未来世代への責任の可能性(世代間倫理)、リスクとコストの分配(環境正義)などが主要な話題である。
環境倫理学の立場は大きく二つに分類できる。人間の生き残りのために自然環境を保護する立場は、「人間中心主義」と呼ばれる。例えば、パスモア(John Arthur Passmore 1914~2004)は、伝統的倫理によって環境保護を正当化できると考えた。これに対して、人間中心の倫理を改変することで自然環境保護を正当化する立場は、「非人間中心主義」あるいは「自然中心主義」と呼ばれる。
倫理的配慮の範囲をどこまで拡張するかによって、非人間中心主義はさらに細分化される。シンガー(Peter Singer 1946~)の動物解放論に代表される「感覚能力主義」は、感覚能力をもつ動物にまで範囲を拡大する。生物全体へと範囲を拡大するのがテイラー(Paul W. Taylor)らの「生命中心主義」であり、シュバイツァー(Albert Schweitzer 1875~1965)やディープ・エコロジーを提唱するネス(Arne Naess 1912~2009)も生命中心主義的な傾向をもつ。キャリコット(J. Baird Callicott 1941~)らの「生態系中心主義」は、土、水、風景にまで範囲を拡大する。土地倫理を唱えたレオポルド(Aldo Leopold 1887~1948)も生態系中心主義的である。生態系中心主義は生態系全体を重視するホーリズム(全体論)の立場をとるが、この発想に対しては、生態系全体にとっての望ましさという理由で個人の自由や権利を制限するエコファシズムにつながるのではないかという批判が提出されている。
近年は、環境倫理学が環境問題の解決に貢献していないのではないかという反省にもとづき、環境問題の実践的解決を重視する環境プラグマティズムという潮流が登場している。