フレーゲ(Gottlob Frege 1848~1925)およびラッセル(Bertrand Russell 1872~1970)による数学の論理学的基礎づけをその直接の端緒とし、論理学や数学などの演繹科学および物理学をはじめとする自然科学との親和性をもちながら、明晰かつ緻密な言語・概念分析と公共的かつ厳密な議論の応酬を特徴として、イギリス、アメリカ、カナダ、オセアニアなどの英語圏を中心として(中欧や北欧などでも)展開されている哲学的伝統。
(1)端緒
ムーア(George Edward Moore 1873~1958)とともに観念論哲学に反旗を翻したラッセルが、ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead 1861~1947)とともに著した『プリンキピア・マテマティカ』(1910~13年)が分析哲学の大きな礎の一つとなった。この書への批判的応答から自己の哲学を展開したのが、ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein 1889~1951)、ラムジー(Frank Plumpton Ramsey 1903~1930)などであった。
(2)論理実証主義(logical positivism 英 ; Neopositivismus 独)
1920年代から30年代にかけてシュリック(Moritz Schlick 1882~1936)、カルナップ(Rudolf Carnap 1891~1970)などを中心とするウィーン学団がその中核を担った哲学運動で、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』(1922年)から大きな影響を受けつつ、トートロジー説あるいは規約説をつうじて論理学および数学の言明の有意味性を、また意味の検証理論をつうじて科学の言明の有意味性を確保すると同時に、伝統的哲学を無意味の集積として排除し、ラッセル流の論理的な分析と定義の手法を駆使して、有意味な言明を感覚報告言明に還元しようとする基礎づけ主義を展開した。
(3)日常言語学派(ordinary language school)
1940年代から50年代にかけて、オックスフォード大学のライル(Gilbert Ryle 1900~76)を中心とするグループが主に発展させた哲学で、日常言語のいいまわしの手広い収集と精緻な分析をつうじて哲学の問題を解決ないし解消しようとした。オースティン(John Langshaw Austin 1911~60)、ストローソン(Peter Frederick Strawson 1919~2006)などがその代表者。フレーゲ研究を基礎に独自の「反実在論」を展開したダメット(Michael Dummett 1925~2011)も、この時代のオックスフォードに学んだ。
(4)アメリカでの展開
ナチスの台頭を受けて論理実証主義者が多くアメリカへ移住したことで、分析哲学の中心はヨーロッパからアメリカへ移った。「経験主義の二つのドグマ」、「翻訳の不確定性」テーゼなど、50年代から70年代にかけて大きな影響力をもつ考察を展開したクワイン(Willard Van Orman Quine 1908~2000)、タルスキ型の真理論を自然言語に適用することでその意味論をあたえようとしたデイヴィドソン(Donald Davidson 1917~2003)、モデル論的考察に基づいて形而上学的実在論から内部実在論へ(さらには「自然な実在論」へ)転向したパトナム(Hilary Putnam 1926~)、固有名にかんするフレーゲ~ラッセル流の意味論を様相的文脈の観点から批判し、「あたらしい指示論」を展開したクリプキ(Saul A. Kripke 1940~)などが有名。