ある事柄や実践が、変更不可能な性質を有しているとする立場を本質主義、社会的に作られたものであり、その性質は変更可能だとみなす立場を構築主義と呼ぶ。たとえば「人種」が生物学的に決定されているとする立場は本質主義、社会的または文化的に構築されたものだとする立場は構築主義にあたり、両者は対立関係にある。また、「性差」も両者が対立する重要なトピックである。一般には、生物学的に決定された性差を「セックス」、社会的、文化的、歴史的に形成された性差を「ジェンダー」と呼んで区別する。このような図式に疑義を呈し、セックスすらも社会的に形成されたものだとするバトラー(Judith Butler 1956~)の構築主義的な議論もよく知られている。
ハッキング(Ian Hacking 1936~)は、(社会)構築主義をさらに分析して、現状では当たり前のことだとされ、不可避だとみなされている事柄に関して、それが社会的に構築されていると論じることによって、事柄のあり方には必然性がないことを示し、現状に異議を申し立てる立場だと論じている。20世紀フランスの哲学者フーコー(Michel Foucault 1926~84)の「系譜学(gnalogie 仏)」とは歴史調査によって現在のあり方が必然的ではないことを示す作業であり、ハッキングの分析に従うならば、フーコーも社会構築主義の源泉の一つであると言えよう。